弁天台場跡



市電「函館どつく」駅の前にある、入舟児童公園。
ここには以前の面影はなく、ただ看板のみが立てられています。



市電を降り、入舟公園から、港の方へ向かうと…
弁天台場の名残、砲台の跡が見られます。
左上の写真が、弁天台場の石を利用して作られた防波堤です。
その下は、函館港改良工事の様子が書かれた看板。
看板の左下に、弁天台場の入り口と、浮島の写真が見られます。
右の写真は、その函館港改良工事の記念に建てられた碑です。
これも弁天台場の石を利用して作られているそうです。





弁天台場は、江戸幕府が多大な資金を投資して作ったもので、
新選組の最後の地…ともいえます。
新政府軍の蝦夷上陸が決定して、新選組が任されたのは
この弁天台場を死守することでした。
明治2年5月1日には、この地で土方総督が、
新選組と最後の再会を果たしています。
11日に総攻撃を受け、敗北の色が濃くなる中、五稜郭にいる本陣は
徹底抗戦を主張しますが、新選組は単独で降伏勧告を受け入れる決意をします。
15日をもってして、新選組の箱館戦争は終わりを告げることになるのです。
(2005年5月23日UP)

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